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まずはどうして私が救う会のメンバーになったか?について。 私はあみちゃんのお父さん(鳥井仁さん)と大学時代からの友人です。 二人とも某大学の体育会水泳部に同期で入部し、いろいろな苦楽を共にしてきました。もともとスポーツに強い大学というわけではなかったため、体育会とは言っても初心者が多く、「子供の頃からバリバリ泳いでました!」という彼は、部内でも一目置かれる存在でした。 彼はとても真面目で正義感にあふれ、同期からの信頼が厚いのはもちろん、先輩たちからも信頼されていて、まさに水泳部の中心的人物だったと言っても過言ではないでしょう。そんな彼は当然のように私たちの代で主将に選ばれ、チームのまとめ役として活躍していました。 救う会の活動を始めてから「鳥井くんと同じ学科だった」という方からメールを頂いたのですが、やはり学科での評判も良かったようで、「試験前にいつもノートを貸してくれる頼もしい人でした」というようなことが書いてありました。ほんと、彼はどこに行っても本当に「いいヤツ」なのです。 救う会のメンバーの中には同じ水泳部の仲間が何人も含まれていて、学生時代からの彼の人望の厚さが、今回の活動をここまで順調に進められた大きな要因だったのかな、と私は分析しています。 さて、ふつう大学を卒業して10数年も経つと疎遠になり、連絡がつかなくなる同期がいたりすることもあると思うのですが、なぜか私たちの代は妙に仲が良く、卒業後も年に1-2度は旅行に行ったり、何ヶ月に1度かは行きつけの居酒屋で集まったりしていました。鳥井くんは仕事が忙しかったことや転勤で仙台に行ってしまったこともあり、なかなかみんなの集まりには参加できなかったのですが、それでも誰かの結婚式の二次会とかで顔を合わせたり、同期の家で集まった時に家族で参加してくれたりしていました。 そんな中、去年の暮れ…12月30日に、鳥井くんから一本の電話がありました。 長女のあみちゃんが重い心臓病で、海外での心臓移植しか助かる見込みがないと。そして、その実現には8,000万円以上(当時)の費用がかかるため、個人の力ではどうすることもできないのだと。彼は悩みに悩んだ末、何人かの友人・仕事仲間に苦しい胸の内をさらけ出す電話をかけたのです。 この経緯については私たちの代表からのご挨拶をご覧頂けると幸いです。 この続きはまた次回。 |
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